五の章  さくら
 (お侍 extra)
 

    東 風 〜またあした

       二の章


 湿っぽかったのはあの宵だけのこと。翌日にはもう、何事もなかったかのように、元の通りに接する二人で。それでも日いちにちと暖かくなって来るにつけ、ああもうすぐ別れが近いという実感はあって。

 「御存知でしょうが、勘兵衛様は口が達者なくせ者ですからね。
  訊かれなんだから言わなかったまで…なんてのは、もはや常套句ですから、
  勝手な行動構えておいでかも知れぬと感じたら、即刻問い詰めておやんなさい。」

 「…。(頷)」

 そんな会話を当人の前で繰り広げ、勘兵衛の苦笑を買うこともしばしばで。元は主従という関係にあり、互いの生死さえ判らぬままに生き別れとなっての、勘兵衛の側からは十年、七郎次の感覚からは五年という空隙を経ていても、今なおその立場のようなもの崩すことなくいる彼ら。だというのに、時にそんな言いようが出来るのは。幇間をこなしつつ遊里で身につけたそれ、このお人はここまでなら冗談にも乗ってくれるとか、このお人には悪ふざけは厳禁、などという、人あしらいへの呼吸のようなものを随分と微妙なところまで操るのが巧みな七郎次だから…というだけじゃあなかろう。壮年殿の側が、物言いの端々という細かいところまでへと勘気立つよな、狭小な気性じゃあないからということもあったけれど。もしやして当て馬にされているだけかも知れぬ、所謂“馴れ合い”なぞというものよりも、もっともっとずっと深いそれだろう理解と把握と。何の前置きもないままに揶揄されても、何かしら考えがあってのものだろとその意を掬い、その上で呼吸を合わせてさえやれる即妙さこそお見事で。

 「しかもしかも、寡黙でおいでな時ほど油断のならぬ策がありもする。」
 「それでは まるで四六時中 腹に一物あるようではないか。」

 ここでようやく反駁したのも、それこそ絶妙な合いの手なのだろう。勘兵衛のちょっぴり苦笑混じりの笑いようを耳にし、それへと合わせてやはり微笑う七郎次を見るにつけ、

 “…ああ、そうか。”

 神無村でも、そして此処でも。いつも視野の中にいてくれた勘兵衛もまた、自分への気遣いをしていたくれたのだと気がついた。何とはなく不安を抱き始めた久蔵に気づき、縋る対象にしてもいいし、逆に そやつの前では折れまいという気丈さを保つための傍観者の眸としてもいいからと。どちらにしても 自身の心という迷宮へ支えもないまま迷い込まぬための道標代わり、一人にせぬよう構えていてくれた。それもまた、意を合わせたり示し合ってというものじゃあなかろうが、そうやって二人掛かりで支えられていたには違いないこと、今になって気がついた久蔵であり。

 “……。”

 何年も会えぬままだったのみならず、終戦からこっちの混乱期、それぞれの身の上へも それなりのあれやこれやがあったろに。それでも…久々の再会を果たした身とは思えぬほど、互いの呼吸や思うところを把握し合っていたそのままに、こうまで絶妙なやり取りや在りようを何事もなかったかのように取り戻せる絆の深さ。目には見えない、口にもしない。それでもわざわざ確かめずとも大丈夫なもの。もしかしたらば過信かも知れない、独りよがりな見立て違いかも知れないが。それでもいいと…相手だけじゃあなく自分へもという、確固たる信頼あってのもの。こんな彼らだからこそ、片やが近々発ってゆこうとする別離の気配へも、慌てず揺らがずいられるのだろか。自分にはまだまだ縁のないもの、これから蓄えてゆくこととなろうものへ、あらためて感じ入っていたりするのである。





        ◇◇◇



 地上に様々な芽吹きを齎す春が、やっとのようよう訪のうて。それはそれは広大な大陸なので南北で随分な差がありはするが、それでも…柔らかな色合いの花々が咲き競い、空の色も濃くなり、風は甘く、陽は優しいとなれば。人々も自づと、寒さから丸めていた背中を延ばして、頭上を仰ぎ見るようになる。

  ―― そうともなれば

 農村では耕作への準備がたけなわ。田起こしや畠起こしを手掛ける傍ら、稲や作物の苗作りに精を出し。牧畜が盛んな土地では牛や馬の仔が次々産まれ、海沿い川沿いの里では船や網の手入れに余念がない…と。土地土地による慌ただしさがあちこちから聞こえもする春に。ここ、虹雅渓のような交易の盛んな地でも、そういった情報をいち早く収集し、各地への手配をいかに即妙に飛ばせるかという、目には見えない競争がひそかに始動しているのだとか。そしてそれらと並行し、
「冬の間は旅人が少ないからか、情報も途絶えちまうもんでしてね。起きたのはずんと前ながら、冬の間は情報も停滞してしまい。今頃になって新たに聞こえたとんでもない話というのもたんとあるのですが。」
 ちょっぴい狡いかもしれないが、こちら様にはとある“秘密兵器”がある。先の大戦で用いられたナノ単位の通信妨害物質(ジャマー)が空中に残留していてまだ消えぬとか何とか、もっともらしい事情のせいで、一般民の間では広域間での無線通信は不可能とされて来た中。そりゃあ優秀な元・工員さんが新しい論理で制作した“電信器”という工夫によって、早亀による飛脚を使うしかなかったはずの情報伝達が、里の中での電話交信並みの速さと精度で可能となっており。街道が雪で閉ざされようが、野盗が結託して役人のいる里への帰り道を閉ざそうが、そういった状況を難無くやり取り出来るよになっているものだから、
「ヘイさんは米への目利きしか出来ぬお人だが、代わってゴロさんが酒の肴へは詳しいのでしょうね。こっちじゃあ珍しくて希少な物、気を利かせてこちらへ送る手配なぞして下さってるんですよ。」
 しかも…出先で顔を合わせることがなくもないという、式杜人の空艇の、禁足地への帰りの便に便乗させてとかいう、究極の奥の手も使い放題ならしくって。

 『だって、電信を一番先に提携させてほしいと言って来た方々ですから。』

 それで行動範囲が広がった彼らなら尚のこと、そのっくらいのお使いを頼まれてもらうのなんてささやかなお返し、持ちつ持たれつってやつですようと。相変わらずにあのえびす顔で結構腰の強いことを言う平八が、有無をも言わさず承諾させているらしいのだが、

 まま それはともかくとして。

 そんなして集められた情報とやらの中には、例の“都”の撃沈と天主の急逝が発端になってと見受けられよう、各地で起きた暴動の話も少なくはない。虹雅渓は住人の中からの叩き上げ商人が差配を務めた土地だが、都という強大な権勢から配された者が差配を任じられていた土地では、何となればその頭の上へ巨大戦艦がやって来るという“恐怖”でもって威圧していたことに甘えての、支配者側の組織力が脆弱だったからだろう。街によっては、不満分子が暴れ回って凄惨なことになってもおり。また、その都を“相打ち”で墜としたことにされている“野伏せり”の残党らが、辺境のあちこちで武力に物言わせ非力な農民らへの無体を続けてもいるようで、

 「街から離れた里には、侍たちが配されたのではなかったか?」

 侍を雇って野伏せりたちを掃討した、神無村の勇気を見習って…などという、白々しい言いようをしていた右京が試案、街のそこここでくすぶっていた浪人たちを召し上げて、用心棒にと向かわせていた筈ではなかったかと問う勘兵衛へ。さもありなんというお顔を見せはした七郎次だったが、
「その配置もまだ始まったばかりという頃合いでしたからね。」
 まま、あんなややこしい若造にあっさりと乗せられたような、気のいい手合いの方々が多かったせいですか。派遣された口の方々は、その後もそれなり上手くやってるそうですが、
「そもそも辺境の里や村というのは、神無村がそうだったように、代官や国司なんていう支配者やその弁務官を持たない、自営自治の農村がほとんどなんで。」
 守ってやる代わりに食い扶持を報酬にくれという対等な関係ならまだしも、顔も見たことのない領主が年貢を納めよと言ってくる、天主支配の体制下に、編成さえされていなかったようなほど遠い地ともなりゃ、そういった用心棒の配置どころじゃなかったようで。
「暴れている野伏せりのほうにしても、本当は商人と結託していたがための統率があったものが、今は全くなくなってる訳ですからね。」
 あまりに搾取し過ぎれば、村自体が干からびて滅びてしまうというよな さじ加減、ちゃんと計算出来る上層部があったのが。本陣壊滅からこっちは、下っ端の実行班が、しかも散在という格好で各々の地に居残っているのが実情。そもそもは“都”の飼い犬のような存在だったので、危険分子にあらずの理屈から正確な把握なぞ必要なしとされていたのが仇になっており、直接束ねていた紅蜘蛛級の頭目ででもなければ現状配置なぞ判りようがなく。よって、
「新たに無頼を引き入れて、ますます乱暴になってる手合いも多いとか。」
 前より悲惨な土地もあると、そこは眉を曇らせて語る七郎次が、

  そこで、と。

 今のところはまだまだ覚束無いそれながら、自治地域が協力し合い、独自に設立しつつある治安維持組織が、ぼちぼちと立ち上がりつつあるそうで、
「薙ぎ払う武力も勿論必要ですが、情報力も要るでしょからと。」
 ゴロさんヘイさんも“物見遊山に旅する身”なんて誤魔化しながら、伝書鳩を買って出ましょうと申し出てもいるらしい。

 「それでですね。」

 ここからが本題と、声をあらため、電信から得た情報を綴ったらしい帳面を開く。
「協力関係を得たことで、信頼得てのますますと。行く先々で電信の中継器を配置させてもらいまくりの、その使いようも土地の人に教え広めておいでならしくって。」
 今のところ、周波数の整備が追いつかないんで、一旦ヘイさんのところにまずはと経由させての交信しか出来ないらしいのですが。そんなして得たよもやま話に、気になるものがぽつぽつとあるらしく。微妙にためらったような間を挟んでから、

 「要約すると、
  野伏せり崩れのうちの一部が、虹雅渓へと集まれとの伝言を回し合っていると。」

 七郎次が告げた言いようへ、

 「…ほお。」

 聞いた勘兵衛は、だが、さして意外そうな態を示さぬままだ。いつもの白い砂防服のどこにも、余計な衣擦れの音を立てさせることなくの、ゆったりとしたその姿勢を崩しもせずで。そんな御主なことへこそ、怪訝そうに眉を寄せた七郎次、
「まさか、勘兵衛様には織り込み済みなことでしたか?」
 だとしても、これまでそういうお話は一度も俎上に上がってませんがと、暗にそう言いたげな、元副官の不服そうな声へ、
「さてな。」
 空とぼけるような応じを返し。
「ただ、此処は右京のいた街だ。新しい天主となった彼奴を乗せた“都”が行幸に発ったのもここからだしな。」
 それはもうと、今更な確認事項へはいと頷く七郎次へ、
「都自体は浮遊要塞のようなものだから、その居場所を特定しにくかったほどだが。この街は逃げはせぬから、目印にはしやすかろう。」
 離れの濡れ縁、母屋から真っ直ぐ回って来た七郎次が椅子のようにし腰掛けているそこへ、こなたは部屋の中から出て来た格好の勘兵衛。膝は合わせずのゆったりと座したそのまま、顎髭をさりさりと撫でていた白手套の手を止めると、思わせ振りに視線だけを上げて見せ、

 「例えば“集合場所”とか“決起の場”として。」
 「…っ☆」

 あ…っ、と。七郎次の口が丸ぁるく開く。
「今現在の此処に さほどの遺恨はない者へも、とりあえずの目的地の地名として、此処ほど判りやすい地はなかろうからの。」
「そうか、そうですよね。」
 何せ、彼らが憎い敵と感違いしてもいよう商人らの頭目が、もしも息災無事だったならその後の足場にしたかも知れぬ ゆかりの地。一応その名が知れ渡ってもいようから、志が同じ者同士が合言葉のようにしやすい地名だ。

 「しかも、だって言うのにこの地は、全くの全然 揺らいじゃいない。」
 「ああ。」

 天主がいきなり謀殺されたというのに、それがどうかしましたかとのマイペース。多少は動揺も走っただろうし、この機に乗じてか 付け込んでか、暴れかけた連中もいただろが、そやつらが跋扈した挙句、機能を失くすほどの荒廃や殲滅…といった憂き目には全く至っていないのが現状。事故の報は真っ先に届いただろに、それでも警邏隊が踏ん張って、人々の間に混乱の出ぬよう監視の目を行き届かせていたというし。そんな事態に乗じて動きそうな輩だとされた、不満分子の筆頭だろう浪人たちにしてみても。右京からの誘いにも乗らなかった、最も結束し合っちゃいなかろう毛色の連中が居残っていたのだろうから。個々人で ざまを見よと嘯
(うそぶ)くことくらいはあったかも知れぬが、これを機に立ち上がれと蜂起出来るほどの組織力なんてなかったに違いない。

 「それが何とか、押っ取り刀で動き出してみたのが、
  先に蛍屋
(ウチ)を襲った奴ら…ってところでしょうからね。」

 此処出身の天主が殺されて、情報も一番に届けば、余波だってどどんと逆巻いた土地である筈が。アキンド憎しとの結束固め、蜂起を起こすまで半年かかっているのが何ともはや。あれも元は軍人だったのかしらねと、しょっぱそうな顔になった七郎次だったが、

 「ですが。となると、野伏せり崩れの連中が、
  一部とはいえ この街目指して集まっているのは、
  そやつらが再戦果たそうとしてるってことでしょうか?」

 さてなと、勘兵衛はその目許を軽く伏せ。しばしの熟考という態度を見せた。何とはなくの考えはとうに固まってもおろうに、相手によっての伝えようというのがあろうと、頭の中を整理してでもおるものか。まさかに今更、自分への隠しごととかあるのかしらんと、微妙な心地で見やった御主の横顔は、

 「………。」

 相変わらずに野性味満ちての精悍で。そのくせ…豊かな智慧を秘めておいでなこと、重々感じさせる佇まいの、なんと落ち着いておいでなことか。いづれ名のある賢者か哲学者かと、そんな風に文士ぶっての納まり返っておられても、なんら支障のなかろう風貌を得られたは、果たしていつからのことだろか。

 “……でも、10年前もそこそここのような風情のお人ではあったかも?”

 おややぁ?と。七郎次のその思考が逸れかかったそんな間合いへ、

 「…。」
 「おや、久蔵殿。」

 最終的にはどこの屋根から飛んでくるのだか、今日も上の階層からを順々に見回って来たらしい紅衣の若いのが、庭へと直接飛び降りて来た。動きやすさとそれから、外套としての防御も考えられた型のそれ、腰から下へたっぷりと、厚手の生地を用いた装束である関係で。垂直落下なぞしようものなら、風を受けてのばささという、結構な音がしそうなものだが。実際には、小さな野鳥が飛び立つ折の 羽ばたきの音程度の物音しかしない。今日も今日とて、浪人どものたまりでは意味深な睥睨を残して来やった彼であるらしく。だが、それはそのまま…蛍屋に押し寄せた浪人どもを薙ぎ払ったのが誰なのかを。わざわざ提示して回っていることにもなりはすまいか。久蔵はこの地の差配だった綾磨呂の護衛だった男でもあるのだ、顔を見知る者だっているはずで。ますますのこと、アキンドの息がかかりし連中という印象を強めるばかりじゃなかろうか。

 「…お疲れさまですね。」

 無言のまま、まだまだ萌え出すには間がありそうな芝草の庭、さくさくと踏みしめて。こちらへと歩みを運ぶ次男坊へねぎらいの会釈を送った七郎次、手元に用意のあった茶器を抱えると、ちょいと失礼と濡れ縁に続く居室へと上がる。さすがに囲炉裏はないけれど、床の間近くに火鉢があって、鉄瓶をかけたままにしておいで。そこから湯を取ると、丁寧に茶を淹れ始める彼であり。そんな彼がいたところに、視線を落としてただ立ち尽くす久蔵へは、

 「いかがであった? 本日の上は。」

 衣紋の袖へと互い違いに腕を入れての、少々ゆったりとした姿勢となった勘兵衛が、手ごたえや変わったことは?と訊いており、

 「…変わりない。」

 ぎょっとして驚く者や、睨み返す者があるのはいつものことで。そして、
「そうかそうか。」
 それを訊いた勘兵衛の応対も、いつもと余り大差はなくて。微妙に行儀の悪いことながら、懐ろ手にしたその大ぶりな手には、彼もまたその小型のをいつも持っておいでなのか、小さめのレンガ石ほどの電信器があり。はてさて、何をどう企んでおいでなのやら…。




        ◇◇◇



 それからほどなくして、七郎次の側は店の仕事にと立ってゆき。昼餉を挟んでのお三時の頃合いまで、離れへは立ち寄れぬままとなり。やっとひと区切りがついたのでと、新しい茶器とそれから、小腹満たしの茶菓子なぞを提げ持って、離れへと向かう道すがら。昼下がりのこの時間帯は少しだけ体が空くからと、手伝いがてらについて来ていた雪乃が ふと、ねえお前さんと、数歩ほど先をゆく七郎次へと声を掛けてきた。何だいと肩越しに振り返れば、

 「勘兵衛の旦那、いえ、勘兵衛様は、どのような策を練っておいでなんだい?」
 「おっと、策はよかったな。」

 何だ何だ大仰なと、茶化して笑い飛ばそうと仕掛かった七郎次だったものの、
「誤魔化さないでおくれな。」
 こちらは大真面目だったか、口許とおそろいの紅を差した目許も尖らせての、ツンと澄まして見せてから、
「あたしとしては、お二人ともいつまでも此処へおいでになっててほしいのに。さりげなくも何だかよそよそしいのは、やっぱり近いうちに出立の用意がおありだからだ。」
 おや、と。七郎次の表情が止まる。
「…なんで近いうちだと判るね。」
 確かに、神無村から此処へと到着したおりも、ずっと長居をするような口ぶりでの挨拶はしなかった勘兵衛だったが、さりとて、じゃあいつ出てゆくとも言ってはいない。暑さに何かと開放的になり、人々の流れも活発になる夏かも知れぬではないかと、そんな言いようを振ってやれば、

 「ああまでの騒ぎに、
  ご自身がわざわざ先頭に立っての活躍をご披露なさったのは、
  長居はしないよと仰せになられたようなものじゃないか。
  なのに今更、人の眸忍んでこっそりとなんていう、
  淑やかなご出立を構えてなさるだなんて、到底思えないよ。」

 「…ありゃまあ。」

 あいたた…と額をぺちんと叩いて見せての立ち止まり、さすがあれだけでそうと察したとはねぇと、七郎次としてはあらためての恐れ入るばかり。微妙な機微やら意気地やら、人の想いは様々に絡まり合うものだということ、戦さ場とはまるきり違うこの癒しの里にて、こうまで若い身でありつつも、その耳目で山ほど見聞きして来た女将だからこそ、そのくらいの洞察は容易かったらしく。ただ、じゃあどうするおつもりかという点は、さすがにまるきり判らないところが、男女の仲だの商いだのとは、まるきり畑の違う分野への不慣れを現してもおいで。

 「そうさな。」

 立ち止まった飛び石の上で、わざわざ雪乃の方へ向き直り、んんっとわざとらしくも咳払いをした七郎次、
「先の蛍屋襲撃事件は、華々しい失敗って格好で街中に知れ渡ってるだろう?」
「ああ。」
 警邏隊が我が手柄のように大仰に吹聴して回っているだけだ…などという、言い訳ごかしの声もあるが、それでも数十人もの浪人たちが徒党を組んでの、結構な頭数に頼っての夜襲を仕掛けたのは事実。そして、それほどの襲撃だったにも関わらず、店の側には怪我人一人出ない、お見事な返り討ちだったわけで。

 「こんな結果を訊いて、街のご同類たちはどう思うと思うね。」
 「???」

 勘兵衛様は、似たような騒動がまた起きるやも知れぬと踏んでおいでだ。いやさ、久蔵殿にわざとらしい挑発の役を割り振って、むしろ煽っておいでの模様。これは雪乃を怖がらせかねぬので、口には出来ないことと黙り通して来たけれど。それ以外の推量ならば、こうなりゃむしろ語って聞かせた方がいいだろと、
「今や此処に限らない話、アキンドこそが世界の上層にいて人々を仕切っているという状況は動かしがたい事実だ。」
 講釈師の真似じゃあないが。さあそこで、と、芝居がかった物言いに拍車を掛ける。
「そんな実情に腹ァ立ててるくせに、羽振りのいい商人から“あなたこそを探しておりました”なんて頭を下げられて、用心棒になってくださいと乞われること、どこかで期待している者もおれば。そんな腑抜けと一緒にするない、誰ぞが決起を構えればいつだって馳せ参じるぞと、でも やっぱり自分からは動かずの、ただただそんな転機をぐうたらと待ってる奴もいる。」
 よその街の連中はどうだか知らないが、少なくともこの虹雅渓の浪人たちは。ある意味で騒動の核、事件の主役のおわしたお膝下の地だってのに、街がほとんど騒然とはならなんだので。これまでと同様、自分から動き出そうと構える者はさして出なかった。

 「ところが、だ。」

 駄賃仕事も格段に減っての実入りも少なく、腹は減るわ寒いわという冬が終わって。動きやすい季節になったのに合わせて…よその里じゃあ、差配を蹴倒した浪人らで構成された武装集団が、そのまま統轄者の地位についてるって話もあると。そんな噂が人々の移動っていう流れに乗って届いたもんだから。ああやっぱり、あれはそうまで大きな騒動だったんだと、今頃んなって腰を上げた連中が、

 「木の芽どきでもあるまいに、とち狂っての暴走しちまった…ってのが、こないだの騒ぎだ。」
 「ふぅ〜ん。」

 アキンド憎しって腹ならいつだって抱えてる連中だから、同志を募るのは存外と容易い。こないだの連中もそんな烏合の衆という感が強かった。

 「じゃあさ、またどっかで、そんな騒ぎが起きそうな気配とか予想とかあるってことかい?」

 雪乃が最初に訊いたのは、勘兵衛がその出立にかこつけて、いやさ、何かしらにかこつけての出立を構えておいでなんじゃあないのか?であり。となると、

  ―― その“何か”というのは、こないだのと似たような騒動なのか? と

 「〜〜〜〜〜。」
 「え? 違うのかい?」

 聴いた途端に表情が凍ってしまった七郎次の反応へ、アレ、何か見当違いなことを言ったかねと、言を重ねた雪乃だったが…実を言えばその反対。怖がるだろからと、そんなおっかないことが何度も起きちゃあかなわないだろうよとか何とか、うまいこと誤魔化すつもり。話を逸らそうとしていた七郎次だったのだけれども。ついつい詳細を語り過ぎたか、まるきり意味をなさなかったようで。そこへとかぶさるように、

 「女将の聡明さを甘く見ておったな、七郎次。」
 「う…。」
 「あらまあ、勘兵衛様。」

 笑みを含んだ声が行く手のほうから聞こえたものだから。お聞きでしたか? お恥ずかしい。小娘みたいに聞きほじるような真似をしてすみませんと、雪乃がその口元を押さえての恥じ入って見せる。仰せにならぬは教えたくないからで、それを無理から聞きたがるなんていけないこと。そのくらいはそれこそ重々判ってもいた雪乃であり、
「いやいや。またぞろ、此処が騒動の舞台にならぬかと、案じてしまわれてもしょうがないところ。」
 なのに、そんな杞憂はお持ちにならぬか、依然として手厚いもてなしを続けてくださることへ。こちらもついつい甘えておったようだ…と、その深色の目許をやんわりとたわめて見せて。

 「何が起きるか、判らぬままというのは不安も募られようもの。
  まだ曖昧模糊としておった“企み”だが、何とか形になりそうなのでな。」

 傍らの椿の茂みをそおと撫でつつ、至って穏やかな口調で…結構物騒なことをば紡いだ壮年殿、

 「よかったら女将も一枚咬むか?」
 「あら、構わないんですか?」
 「か、勘兵衛様?」

 とんでもないことへの水を雪乃へと向けたりするものだから。

 “う〜ん、このお方の優しさは相変わらずに奥が深い。”





 向かう先であった離れへと到着すれば。何やら書状でも書いていたものか、違い棚にあった文箱を降ろして来ての開いた傍ら、巻紙や半紙を広げた文机には久蔵が向かっており。そんな彼の側は、既に勘兵衛から段取りの一切を聞いているらしい。一息入れよと声を掛けられ、立って来た彼は…何の躊躇もなく七郎次の隣へと腰を下ろして見せて、意図せずに皆を仄かに微笑ませたのだったが。

 「ちなみに。お主の考えは?」

 丁寧なお仕事にて香り立つお茶を淹れて差し上げたのへ、だっていうのに その代替のように問われてしまった七郎次の推量はというと、
「警邏隊が今一つ統括に安定が足りない今こそ、どんと叩いてのし上がろうとでも思っているのかも知れないなと。」
 先程もちょいと触れた話じゃありませんが、混乱の末に暴動が起きた街で、自警団に取って代わったそのまま、統率者の地位を得たも同然と好き勝手に振る舞っている浪人たちもあるそうですし。武力だけが取り柄の者共ですから、それが最も無難な蜂起じゃあなかろうかと。
「そうさな。今現在の虹雅渓の警邏隊は、ほぼ あの綾磨呂の私的な警邏隊と同じ陣容でもあるからの。」
 先の騒動の首謀者たちも、彼らの仕切る番所へと送致されたくらいだし、綾磨呂の次代を狙っての、だが今は様子見中の組主たちにしても、街の人々にしても、ああまで手際のいい警邏隊には存続を望んでもおろうが、だからこそ浪人らには鼻持ちならぬ存在。
「力でののし上がりも可…という不安定さは、この虹雅渓にだって言えることじゃあありますからね。」
 とはいえ、と。言葉を区切り、

 「でも、そうまで大変なことをしでかしますかねぇ。」

 今朝方の話の中で、ゴロさんたちが野伏せり崩れの話を送信して来た旨、持ち出しもしましたが、
「馬力は増すかも知れませんが、ますますのこと烏合の衆だ。」
 アキンドの象徴に見立てたらしき、この蛍屋という店ひとつ墜とせなんだのに。街のあちこちで暴れるにせよ、警邏隊の本部を襲うにせよ、容易く鎮圧されるんじゃなかろうかと。
「片や、統率が微妙に危ういと言っても、あの兵庫殿への求心力には大したものがあるのだから、そうそう簡単に警邏隊が当たって砕けるとも思えない。」
 世帯が増えての目立つことで、却って一斉検挙と運ばれては洒落にならんでしょうにと。こめかみ辺りを人差し指の先にて こしこしと摩れば、

 「?」
 「え? あ、ああいえ、痒いのじゃあなくて。」

 そんなおっ母様に淹れてもらったお茶を、すぐの傍らでいただいていた久蔵が。ここ?と訊きたげに七郎次のお顔を覗き込みつつ、横合いから同じところをすりすりと、細い指先で掻いてくれて。
「あらまあvv」
 かわいらしいお人だことと、目許細める雪乃と同様、やはり微笑ましげに苦笑をこぼした勘兵衛だったものの、

 「まあ、連中が動き出すのを待ってやる義理はないからな。」

 手びねりの湯飲みを大作りな手に見下ろしつつ、そりゃああっけなくもそんな言いようを繰り出すに至って。

 「……………………はい?」

 今度は七郎次がおやまあと、雪乃とは逆に目許を見張る。
「じゃあやっぱり、久蔵殿には連中を挑発させてらしたんですね。」
「まあな。」
 気づいておったかと苦笑をこぼし、
「その気になるまでとか、陣営を整えるまでなぞと、悠長に待っててやる道理もないことだし。」
 一部微妙に“大人の意見”とやらなことを堂々と口になさりつつ、

 「さて、よしか?」

 七郎次に久蔵、雪乃を前に。満を持しての“作戦”が、いよいよの形を持ってのご披露と相成った。








     おまけ。



 勘兵衛の立てた立案の中には、微妙に外せないところというのがあって。

 「警邏隊への連絡ですか? そうですねぇ。」

 電信器の携帯型のを渡しておけばよかったのだが、こんな運びになろうという予見はさすがに立っていなかった勘兵衛だったので、今の今では余剰分も手元にはなし。既存の通信では、どこで誰に盗聴されるやもしれず、逐一の伝言を手渡しの文にてやり取りする他はなかろうという結論に至ったのだが、

 「ウチの者に頼むってのはいかがでしょう。」
 「いやいやそれはいかん。」

 先の騒ぎの取りこぼしなんぞがいたならいかがする。それこそ 一体何をご注進かと、この店と警邏隊との間柄を疑われ、今後ますますのこと逆恨みの対象にされんとも限らんと。これ以上の関わりを、今後はともかく今だけは、危険だからと持たせたくはないのも前提の勘兵衛としては。雪乃の申し出を即座に断ってしまったものの、ではという妙案があるでなし。…と、

 「じゃあ…うん。いい伝手がありますよ。」

 七郎次が言うには、
「懇意にしてもらってる仕出し屋さんが、警邏隊本部へと出入りしているんですよ。」
「…仕出し屋?」
 はて、こことでは商売敵じゃないのかと小首を傾げた勘兵衛へ、
「いえね、節季の忙しい折なぞは、板前さんに応援に来てもらってもおりましたので。」
 その代わり、此処の料理の秘伝や何や、手とり足とりってわけにはいかぬが、その気があるなら見て盗めと。そういうカッコでの相身互いしている間柄なのだそうで。そんな話をしている傍らで、

 「それを言うなら、
  こないだの大立ち回りを見ていた旦那衆の中にも、
  何か手伝えることがあるなら手を貸そうってお人がちらほらと。」

 雪乃がそんなことを、遠慮がちに口にする。え?と 再び目を見張った七郎次の頭越し、どういうことだろかと目顔でお問いの勘兵衛へ、
「いえね、この人がお座敷で花を持たせてあげたり、女性との仲を取り持ってあげたりって気の利かせようをして差し上げたの、今もちゃあんと覚えてらして。」
 勿論のこと、その見返りをと期待していた こなたじゃあないのにね。こんな折だけに、不穏な空気を感じ取るのも得手だろう、こういう土地柄の旦那たちが、それでもと助力を囁いてくれるとは。

 「それは…驚きましたねぇ。」

 一人天下とばかりの盛況繁盛ぶりを、表立っては何にも言わぬが面白くはないと思っている人も多かろに。恐持て連中に目をつけられての、潰れる好機があるんなら。高見の見物洒落込もかと ほくそ笑むんじゃあなくっての。そんな風に言ってもらえようとはと、珍しくも素のお顔になってキョトンとしている七郎次へ、

 「それも女将の人柄だろうよ。」
 「あ、そうかそうですね。」
 「ま、嫌ですよぉ。旦那。/////////」

 あらあら、しんみりしたらばどうしよかと、仄かに案じてしまってた女将までもがくすすと笑い。それじゃあ警邏隊への連絡は、その皆様にもご助力いただくということでと方針が決まって…さて。


 「ああこれ久蔵、伝言文書にササニシキはよせ。」

 「勘兵衛様、それも言うなら“寒ぶり流ささめゆき”です。
  久蔵殿も それだと南軍出の人にしか読めませぬ。
  なるほど暗号には打ってつけではありますが…。」

 「兵庫が。」

 「………………あっ☆」×2


 何だか楽しそうな準備風景のようですね。
(苦笑)


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  *またまた半端ないほど間が空きました、すいません。
   春本番にさあ書こうと思った矢先とんでもないことになってしまったので、
   集中力が雲散霧消し。
   気がつきゃ初夏ですよ初夏。
(苦笑)
   途轍もない自業自得ですのに、お付き合いくださってありがとうございます。


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